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福者シスターマリア・アスンタ帰天100周年記念の年にあたって
 イタリアはトスカナ・ウンブリア・ヒミーリアの諸州に囲まれているマルケ州にある小さな村クロチェでは、特に若者たちが熱心に2004年の秋から一つの祝いの準備をしていました。それは、19世紀70年代にこのフォルケの村に生まれた一人のシスターがローマの聖ペトロ大聖堂で、福者の宣言をいただいてから50年目であり、さらに2005年はその帰天100年の年にあたるからです。
 このシスターの名はシスターマリア・アスンタ・リベラータと言い、クロチェの貧しい家の長女として生まれ、少女時代には母を助け、村で色々の仕事を手伝っていました。よく働き、誠実で素直なので、皆から尊敬され、愛されたのは当然のことでした。アスンタの心に神がお与えになった賜物の中で信仰心が目立っていました。飾り気のない野の花のようなアスンタは、修道院の静けさの中でイエスへの愛のために祈り、愛し、働き、苦しむことだけを願い、ちょうど彼女の誕生と同じ頃に創立されたマリアの宣教者フランシスコ修道会の門を叩きました。修道服をいただき、誓願を宣立したシスターアスンタは暫くローマの郊外にある修道院で、その後、フィレンチェの菜園、果樹園などで、さらに家畜の飼育場で働きました。どこにいても彼女はいつも穏やかで親切であり、誰にたいしても柔和で、どんなつまらない仕事であっても熱心に果たし、目立たない仕事の場で苦労をいとうこともなく、まるで最も魅力ある仕事をしているかのように幸福そうでした。
 フランシスコの精神に徹していたシスターマリア・アスンタは中国に行ってつつましい宣教者となりたい、という強い望みをもっていました。中国では1900年に山西省でおこった北清事変で、マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスターを含む沢山の司祭、信者たちが殉教していました。迫害によって中断されていた宣教者の派遣が再開され、1904年にシスターマリア・アスンタは中国の宣教に派遣されることになりましたが、彼女が派遣されたところは山西省の首都太原から約50キロ離れた洞児溝で、そこでの彼女の仕事は主として台所で、その他、目立たない雑用や近くの子供たちや婦人たちと一緒に祈ることもありました。「シスターマリア・アスンタの生きかたは、聖書に書かれた愛の実践そのもので、単純で明快な生き方であるが、私たちはそれを知りながらほとんど実行できない。」と作家曽野綾子氏はアスンタの伝記に対する書評に書いておられますが、貧しく小さな一人のシスターの中において神はその愛の輝きという「偉大な業」をたやすく行なうことができるほど、彼女の心と魂は神のみに支配されていたのです。
 中国でのシスターマリア・アスンタの生活は長く続かず、20日間の病気、―腸チフスであったといわれていますが―の後、1905年4月7日、中国にわたってわずか1年で彼女は天国に召されたのです。地上では何一つ人の目に立つ働きをしなかった彼女ですが、神のみ前ではその聖なることが奇跡によって証明され、1954年に「福者」の位にあげられました。それはちょうど教会では「マリアの年」を記念していましたので、「私は主のはしためです」ということばをモットーにしているマリアの宣教者フランシスコ修道会にとって、そのことばを文字通りに生きたシスターマリア・アスンタがマリアの年に列福の光栄を頂いたのは大きな慰めでした。
 神の教会の栄光をあらわすために神から召された人々は、それぞれ独自のメッセージをもっています。それはその人だけが語りうる独自なことばですが、実は人々に力と喜びと生命をもたらす神のみことばなのです。小さなアスンタのメッセージは何だったのでしょうか?彼女が両親に書き送った手紙の中にそのメッセージのことばが見出されます。
 「私は、意向の清さを世に知らせるお恵みを主にお願いしております。意向の清さとは、すべてを、最も平凡な業であっても、それを神様への愛によって行なう、ということです。」
 意向の清さ、それは神の燃える愛に目を注ぐことであり、最も平凡な業にも永遠の価値を与えるものです。それは福音と同じように古いものであると同時に、福音と同じように常に新しく、現実に即したものなのです。彼女はこの意向の清さで生きている間すべてのことを行い、それによって、イタリアでも中国でも神を人々に知らせるという福音化の道具になったのです。
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